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「私は残念ながら日本に来てしまった」 ある難民の悲劇

難民・移住労働者問題キリスト教連絡会(難キ連)では4日、「難キ連セミナー 難民の声を聞く」として、 イラン出身のクルド人難民のゴラヴァさんの証言を聞く機会を持った。 佐藤直子同会事務局長が言う。 「日本は、現在の米国よりももっとひどいことを何十年も続けている。今日、証言をしていただくゴラヴァさんも その被害者の1人です。『私は残念ながら日本に来てしまった』という彼の言葉を私は忘れられないのです。 日本人として恥ずかしくも思い、残念にも思います」 ゴラヴァさんは1946年、イラン北部の都市マハバードで、クルド人の両親の子として生まれた。66年、 20歳で軍に入隊。以降14年間にわたり職業軍人として働いた。その間、軍人として栄誉ある賞を受けたこともあった。 79年にイラン革命が起こると、クルド人は反政府勢力と見なされ、80年、ゴラヴァさんも軍を追われることになった。 除隊した後、故郷に戻ると、そこで見たのは、イラン政府軍の戦車が街を走り、人々が銃弾に倒れる姿だった。 ゴラヴァさんは人々を政府軍の攻撃から守るため、クルド民主党(KDP)に入党。ゲリラ戦を指導したこともあった。 政府と衝突を繰り返しながら、逮捕されて警察から拷問を受けたこともあった。 その後、ゴラヴァさんも命を脅かされる事態となり、90年5月、国外脱出を決意した。家族を祖国に置いて、単身の脱出だった。 脱出先は、欧州か米国を考えたが、当時、入国しやすい日本に行くことに決めた。「日本は安全な国。命を狙われることもないし、 平和に暮らせると思った」とその理由を語る。しかし、この判断が結局、ゴラヴァさんと家族を引き裂き、 20年以上も彼を苦しめることになった。 「私は残念ながら日本に来てしまった」と訴えるゴラヴァさん 「私は難民です。日本政府に保護を求めたい」。その願いと叫びは、現在に至るまで政府の耳には届いていない。 ゴラヴァさんは、その頃イラン人はビザのいらなかった日本に入国、難民申請したが不認定となり入国管理局の収容所に連行され 、そこで2年間を過ごすことになる。 「私の友人や親族は皆、欧州諸国で難民として保護されている。英国では40日間で保護が決まったと聞いている。 親類の中でも、すでに『永住権』を得ている人もいるのに、日本に来てしまった私は、27年たって、やっと特例で在留許可を得ただけ。 どうなっているんでしょう」と時折、感情をあらわにしながら訴える。 仮放免になって収容施設から出たものの、日本の法律上、働くことはできない。反政府軍として戦っていたゴラヴァさんが、 イランに帰れば命がないことは火を見るより明らかだ。帰ることも、留まることも、第三国へ出国することもできない状態が事実上続いた。 45歳で来日して以来、長年にわたる収容、仮放免の繰り返しによるストレスに加え、加齢による体力の低下は避けられなかった。 2006年11月、ゴラヴァさんは心筋梗塞で突然倒れた。 「病院に運ばれましたが、保険がないため、医療費が心配で治療どころではなかった。でも、身体は動かないので、おとなしくしているしかなかった。 最初に駆け付けてくれたのは難キ連の佐藤さんでした」 結局、入院先からの請求額は320万円。しかしその後、「病気治療のため」といった理由で在留特別許可を得ることができた。 「皮肉にも、病気と引き換えにでした」とゴラヴァさんは言う。 27年の間、たった1度だけ長男と妻の2人が来日し、十数年ぶりの再会を果たしたが、2人の娘にはイラン出国以来、1度も会っていない。 「日本に来てよかったと思ったことは今までにありますか」と何度か尋ねても、彼の首が縦に振られることは1度もなかった。

http://www.christiantoday.co.jp/articles/23199/20170211/nanmin-no-koe.htm