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スサノオは朝鮮人 ニニギも朝鮮人 日本人=朝鮮人

スサノオ朝鮮人

古事記」ではスサノオ高天原から出雲にやってきたということになっているが、「日本書紀」には異なる伝承が語られている。
それによると、スサノオ高天原から追放されてただちに出雲に降りたわけではなく、まずその子イタケルとともに新羅 の「ソシモリ」と
いう所に降り立ったというのである。 おそらく「ソシモリ」は韓の国のかなり豊かな町であったのであろう。 ところがスサノオはこのような
豊かな地に自分は住みたくないといって、舟を造り、その舟に乗って出雲の国に至る。 さらにまた「日本書紀」は、スサノオの故郷を物
語る別の一書も伝えている。 そこではスサノオヤマタノオロチを切った剣は「韓(から)さいの剣」であるという。 それは韓国から伝来
した小刀を指す。 その小刀でヤマタノオロチを切ったのだとすれば、スサノオ自身も韓国から来たと考えるのが自然であろう。
このようにスサノオに始まる「出雲王朝」には朝鮮の陰が強く射しているのである。


■天孫は朝鮮人

 降り至った天孫降臨の地において、わたしは興味深い文面の解読をうることとなった。それは、『古事記』に書かれ
ているものだ。ニニギノ命がそのとき、その地でのべたつぎの言葉である。
  此地者、向二韓国一、真-二来-二通笠沙之御前一而、朝日之直刺国、夕日之日照国也。故、此地甚吉地。
  (此地は韓国に向ひ、笠沙かささの御前みさきを真来通まきとおりて、朝日の直刺たださす国、夕日の日照る国なり。
故かれ、此地は甚吉いとよき地ところ)

 「此の地」とは、むろん、この直前の「竺紫の白向の高千穂の久士布流多気くしふるたけ」だ。なんの疑いもない。ところが
、この文面は従来代々の学者たちを悩ませてきた難解至極の個所だった。
 第一の疑問は、印象深い一句「韓国に向ひ」だ。従来の絶対多数説たる「日向=宮崎県」説では、この一句が絶対に解け
ないのだ。“宮崎県の属する九州のその北側が韓国に面しているから”というのでは、なんともまどろっこしいではないか。
だからこの韓国は、朝鮮半島の韓国ではない、という議論さえ出た。たとえば、宣長は「空国(からくに)」つまり、“不毛の荒
れた国”の意とする。まさに「白馬ハ非ズレ馬ニ」の類の論だ。つまりは、それほどにこの一句に困惑してきたのである。

■銅鐸には対応する大和言葉が無い

梅原:その出雲王朝の祖先であるスサノオノミコトは、『日本書紀』を読むと、どうやら朝鮮半島からやってきたらしい。
さらに、出雲王朝でもっとも大切にされていた宝器は銅鐸です。銅鐸は朝鮮半島で使っていた馬の鈴がその原型と考えられます。
馬の鈴が大きく立派になって銅鐸になった。だから、出雲王朝というのは朝鮮半島からやって来た人たちの王朝であって、
はじめは出雲を中心とした地域を治めていた。
そしてスサノオの子孫のオオクニヌシノミコトが日本をはじめて統一した人物でしょう。東日本はまだ治めてなかったとしても、
西日本をほぼ統一した国家をつくっていたはずです。

井沢:つまり、出雲王朝とは先住開拓民による王朝だったのですね。

梅原:その出雲王朝を、南九州からやって来た王朝が滅ぼして新しい統一国家をつくった。
これがヤマト王朝だと思います。彼らがもっとも大切にした宝器は銅鏡です。

井沢:「銅鏡」という考古学用語は、大和言葉漢語などの外来の言葉を除く、
日本固有の言葉)でいえば「かがみ」ですね。同様に「銅剣」は「つるぎ」です。
ところが、「銅鐸」に対応する大和言葉はないのですね。

梅原:ありません。

井沢:ということは、銅鐸は存在そのものを消されたのでは?

梅原:銅鐸は明らかに破壊されてから埋められたものが、あちこちから出土しています。
これは銅鐸の信仰、すなわち出雲王朝の権威を否定したのでしょう。それを行なったのは、言うまでもなくヤマト王朝です。